「長崎原爆の日」から72年を迎えた8月9日、「世界平和祈願勤行法要」が、長崎市の長崎平和会館で厳粛に執り行われた。
冒頭、長崎学生部の代表が「学生平和意識調査」の結果を報告。「核兵器のない世界」を目指し、現実に即して行動する青年の連帯を広げゆく決意を述べた。
綾部李咲さん(小学5年)が「平和への思い」を発表した後、婦人部の浦邊弘子さんが被爆体験を語った。
その日、小学3年だった浦邊さんは、爆心地から4・6キロ離れた近所の友人の家で被爆。夜になり、避難していた防空壕を出た時、爆心地の空が赤黒く燃える光景は今も忘れることができない。
浦邊さんも家族も無事だったが、これが試練の始まりだった。翌年、母が病気で倒れ、半身不随になった。父は働きに出たため、母と幼い弟、妹の面倒を見る日々が続いた。その後、母が寝たきりとなり、つきっきりで看病するように。〝私は何のために生きているのか〟と自身の人生を何度も恨んだ。転機は1960年(昭和35年)。父、弟に続き創価学会に入会。祈るうち毎日が楽しく喜びにあふれていった。
〝長崎には、平和思想を広げゆく使命がある〟との池田大作先生の指針を胸に、広布に駆けてきた浦邊さん。「〝核兵器は持つことも使うことも、人間として恥ずかしいこと〟という考えを、これからも語り広げていきたい」と結ぶと、会場から大拍手が送られた。
創価学会平和委員会の河合事務局長が、核兵器禁止条約の交渉会議にSGI代表の一員として参加した模様を報告。三浦総県長は、長崎の深き使命を胸に平和の大潮流をと訴えた。前田副会長は、戸田城聖先生の「原水爆禁止宣言」から60周年の本年、〝核兵器は絶対悪〟との思想を語り抜こうと呼び掛けた。