池田先生がメッセージ

不撓不屈の勝利の道を 九州の友1500人が原田会長らと共に出席

「新時代第10回全国男子部幹部会」が4月9日午後、熊本・菊陽町の熊本平和会館で開催された。
これには、原田会長、竹岡青年部長、志賀男子部長が、熊本はじめ九州の代表ら1500人と出席。
池田大作先生はメッセージを寄せ、妙法には、いかなる境遇も変毒為薬し、新たな幸福と勝利の道を切り開く力があると強調。地涌の青年がスクラムを組み、何ものにも壊されない安穏と繁栄の郷土の建設をと念願した。


人は「坂」に何を思い浮かべるだろうか。
「上り坂」「下り坂」といった言葉からも、その傾斜は「試練」を連想させる。
熊本の友は、険しい人生の坂に差し掛かるたび、ある〝場所〟を思う。県北部の古戦場「田原坂」。池田先生は折に触れ、この坂を通し、同志に励ましを送ってきた。
幹部会の冒頭、場内前方の大スクリーンに熊本広布史が映し出された。
――池田先生は1958年(昭和33年)、熊本を初訪問。草創の友に訴えた。〝広布の坂は、たとえ一人になっても越すのです!〟
邪宗門の迫害の渦中の81年(同56年)、熊本市の壱町畑公園で友は池田先生と共に「田原坂」を大合唱。第1次宗門事件の険難の坂も乗り越えた。
師弟共戦で構築された難攻不落の人材城・熊本。今後、どんな坂があろうとも、越えていけると思っていた。

しかし、昨年4月、熊本地震が発災する。越えても越えても、なお続く苦難の坂。先の見えない生活から、不安に覆われる熊本の友は少なくなかった。
その心の希望の光となったのも、池田先生の励ましだった。
「今こそ不撓不屈たれ!」「創価の師弟に、『越せない坂』は絶対にない!」と――。
暗転していた舞台に光が当たり、代表のメンバーが語り出した。
「学会員で本当に良かった。こんなにも励ましてくれる師匠がいる」(松本伸一さん)
南阿蘇村立野地区で被災した松本さん。すぐに消防団として住民の救出へ。半身が土砂に埋まった婦人など3人を助け出すが、目を疑うような惨状から無力感にさいなまれる。
〝生かされた意味〟を見いだせず、苦しむ日々が続いたが、聖教新聞に掲載される池田先生の言葉や同志の激励が力となり、前を向けるようになった。
天草の永田栄一さんも、舞台で震災当時を振り返った。「〝大変な人〟の力になりたい。池田先生なら、どうされるかを考えた」
地震直後、地元男子部に、被災地の友を支えようと提案。
代表30人が、第3次避難場所になった宇土文化会館へ、車で片道2時間かけて通い、支援に当たった。今も被災者に寄り添い続けている。
土山幸治さんも、ステージに上がった。
益城町の自宅で震災に遭い、熊本市の職場に避難するも、容赦ない余震、記録的豪雨に苦しむ。しかし、負けなかった。
師の指導を何度も読み返し、仕事に学会活動に走った。〝何があっても心の財だけは崩されない〟との指針を語り、今月、妹を入会に導いた。

熊本地震から間もなく1年――。
被災地を歩けば、いまだに、ぐちゃぐちゃになった家屋等が目に飛び込んでくる。
また、自宅再建の見通しが立たない仮設暮らし、県外への人口流出など、課題は山積している。
古川熊本総県男子部長は語る。
「この1年、災害に苦しめられ続けました。だからこそ、苦労を分かち合い、同志の絆を強めていこうと前進してきました」
熊本男子部は固く誓った。〝一番苦労した人が一番幸せになる権利がある。今こそ、この創価の哲学を語り抜き、俺たちが世界の希望になるんだ!〟と。
そして本年、熊本は部平均1人以上、九州は昨年の2倍となる大学校生を輩出した。
さらに熊本は、地区1世帯を超える弘教を結実。九州男子部は部平均2世帯を上回る折伏を成し遂げ、〝日本一〟の拡大で幹部会を荘厳。
全国男子部としても、1万5000の弘教拡大を果たした。

希望の未来を開きゆく熊本の友が復興の誓いを演技に託した幹部会。
和太鼓団は迫力のバチさばきを。合唱団の「田原坂」の歌に合わせ、舞踊隊が力強い舞を披露。
創価熊本フェニックス吹奏楽団らが復興支援ソング「花は咲く」を奏でると、ダンスチームは軽快なステップで盛り上げた。
フィナーレでは、大学校生らがオリジナル曲「勝利の未来へ」を歌い、インド創価学会愛唱歌「先駆の歌」を参加者全員で大合唱。世界広布の先駆へ、誓いの歌声が響いた。

第2部では竹岡青年部長があいさつ。園田純治さんは、身寄りのない中で荒れた思春期を過ごしたが、入会を機に人生を好転させ、3人に弘教を実らせた体験を発表した。
藤原九州男子部長は〝新しい力〟を先頭に広布の山を勝ち登ろうと強調。志賀男子部長が、一人立ち堅固な人材の城をと訴えた。
原田会長は「創価の父母から師弟の魂を継ぎ、世界広布の大道を開こう」と念願した。
最後に、学会歌「誓いの青年よ」、さらに新生の決意で「田原坂」を歌い上げた。